ご近所に派手なイルミネーションを飾り付けている家を見つけた。

クリスマスは終わり、正月も終わったというのに、
このきらびやかな飾りようは、いったいどうしたことか。
3階建ての建物の1階部分は事務所になっているようである。
事業所名が書かれた看板がかかっている。
そこには「〇〇葬祭」と書いてあった。
葬儀屋さんなのである。
ご近所に派手なイルミネーションを飾り付けている家を見つけた。

クリスマスは終わり、正月も終わったというのに、
このきらびやかな飾りようは、いったいどうしたことか。
3階建ての建物の1階部分は事務所になっているようである。
事業所名が書かれた看板がかかっている。
そこには「〇〇葬祭」と書いてあった。
葬儀屋さんなのである。
妻に年賀状を出してみた。
元日にそれを見つけた妻は予想以上に喜んでいた。
「じーん」ときて泣きそうになったと言う。
妻は、その年賀状を写メールして実家の父上、母上に送ったところ、
それを見たご両親は本当に泣いたそうである。
ほとんど冗談半分のつもりだったのに。
言葉にするのが照れくさいことがある。
面と向かって言いにくいこともある。
それをはがきで伝えると、言葉の何倍、何百倍にもなって相手に届く。
はがきさん、ありがとう。
元日。
実家近くの遊歩道を散歩していたら、
目の前に広がる景色に足が止まった。
こんもりとした島、
浮かぶ牡蠣いかだ、
波ひとつない海、
どこまでもおだやかである。

昨日の深夜2時、ニュースレター新年号が完成した。
最後の5行に1時間を要した。
予想外の難産である。
さっそく、ある自動車学校の経営者にメールで送った。
今朝、パソコンを開くと感想メールが届いていた。
着信時刻は4時39分。
その経営者はすぐに別の自動車学校にも転送してくれていた。
送信時刻、5時03分。
自分の自動車学校にもネット上で回覧してくれていた。
その時刻、7時40分。
午前2時の完成からわずか6時間で、
100人以上の人に読むことのできる環境が創られたことになる。
私はまだ、顔も洗っていなかった。

あたくしはプリンセス、マハロ(名前)。
ご先祖は、はるか遠い国、スコットランド。
名前の由来は、ハワイの現地語で「ありがとう」。
でも、出身は愛媛県。
気がついたら広島県。
あたくしはマハロ。
プリンセス、マハロ。
愛くるしさにオーナーもメロメロ。

その男は、緊張していた。
電話のロープレの時も、たいそう緊張していた。
接客のロープレの時も、極度に緊張していた。
居残りロープレの時は、輪をかけて緊張していた。
そんなに緊張すると、
また指導員試験に落ちてしまうよ。
それに比べて、
白イルカのケーリャくんは、
リラックスしていたな。
顔を見ればわかる。
ほら。

ある教習所で同行した指導員さんから、
韓国で買ってきたという名刺入れを見せてもらった。
ほんものそっくりさんである。
財布と合わせて5千円だったそうだ。
実によくできている。
しかし、40代独身男性が持っていると、
なぜかまったく本物に見えてこない。
それどころか、見れば見るほど偽物くさい。
私は名刺入れを返したあとで、
「結婚願望はないのですか?」と聞いてみた。
指導員さんは名刺入れを大事そうにポケットに収めながら、
「ありますけど・・・えへへへ」と笑った。

妻が不敵な笑みを浮かべて言った。
「裁判員制度の封筒が届いたのは、私くらいのものですわ。うふふ」
私の知人やお付き合い先でも、封筒が届いた人はいない。
妻は、引出しにしまい込んだ裁判所からの封筒を取り出して、私に見せてくれた。
何かが入っている。
宝くじだった。
妻は、普段当たらないものが当たったことから、
それにあやかりたいと宝くじを買ってきたのであった。
うーん...。
彼女は、大きな勘違いをしている。
人は一生のうち、普段当たらないものが当たることがある。
それは、町内会の役員だったり、車(交通事故)であったり、宝くじであったりする。
妻の場合、それが裁判員制度だったのだ。
従って、宝くじは当たらない。
絶対に。


少し時間が取れたので、渋谷に行った。
かねてから関心があった巨大壁画を見るためである。
しばらく眺めた後で、振り返るとそこから駅前が見えた。
それにしても人が多い。
なんだろう、この人の多さは。
横断歩道待ちをしている人の数は、山間の小さな村の人口に等しいのではないか。
信号が替わり、みんないっせいに歩きだした。
道路がみるみるうちに黒い波に染まっていく。
壁画とは違う意味で、
再び鳥肌が立った。
「別れました」
ある指導員さん(Aさん)に同行した際、
何気に聞いた「彼女はいるのですか?」という私の質問に、
彼は静かに答えた。
Aさんは驚くべきことを言った。
「川崎さんも知ってる人ですよ」
「社長も知っていますし、みんな知っています」
それで、思い出した。
Aさんの彼女は同じ教習所の社員さんで、そのおじいさまは指導員をされている。
しかも大幹部である。
いい加減な付き合いは許されない。
しかし、ふたりの恋は成就しなかった。
私が「つらいね」と言うと、Aさんは「つらいですね」と言った。
ある作家がこんなことを本に書いていた。
人は恋愛を通じて初めて他人を本気で知りたいと思うのだそうだ。
そして、苦しむ。
生半可な気持ちでは、人を知ることなどできない。
女性は「どうしてわかってくれないのよ」と涙を流し、
男性は、わかりたいと思えば思うほど戸惑い、混乱し、きりきりと宙を舞う。
考えてみれば当たり前である。
まったく違う環境と価値観の中で20年近く育ってきた二人が、
愛しあってるからという訳のわからない理由だけで、理解できるはずはない。
理解できない、わかりあえないことを前提に付き合うのならまだ道は開けるが、
わかりあえて当然という能天気な誤解は、ほどなく壁に突き当たる。
この壁が高く、そして厚い。
しかし、人として真摯な態度で恋愛をする限り、
悩んで、苦しんで、泣き叫んで、罵りあって、お互い長い沈黙に耐え、眠れない夜を過ごす分、
いつか相手の幸せを真に思える恋ができるようになる。
そんな恋が、Aさんにもきっと待っている、
そう思うのである。